落ちた
2000年ゴールデンウィーク最終日、暑くも無く寒くも無い朝。でも行き先が岐阜県恵那市のだからウィンタージャケットにしよう。 川原で遊んで、近所の林道ちょっと走って、こんな私でも大丈夫?某氏に林道ツーリングに誘われこう答えた。 私自身、林道がどういうものか深く考えていなかったし、旦那もいっしょだからなんとかなるかと、あまーい考えで参加した。 朝ご飯?そんなの食べてる閑ないじゃん。でもおなかすいたな〜。そう思いながら旦那の後を着いて行った。 集合地点の道の駅に何か食べるものはないかな?まだ9時前だし、野菜売っているおばちゃんが草もちも売っていた。 旦那とひとつずつ食べて出発。 某氏、監督、K君、私達夫婦。 女城主の岩村城跡地を散策、そこで琵琶湖のほとりから参加されたTさんと合流。 さてここから問題の林道に向かうわけだけど、超腹減りの私はもうすでにバテ気味だった。あーーっ早く何か食べたいよ〜 のろのろのろのろ。 恵那山特有のサラサラ崩れる山肌の林道。せっかく植林された木々たちもその砂利と共に崩れている。 なれない上にAX−1のタイヤでは走りにくい。常に轍にタイヤを取られ、ハンドルを固定できない。ふらふら走る。 「轍を避けて走らにゃだめだって。」コケる度に旦那が言う。解っててもできないの! どんどん置いていかれ、常に旦那と私だけで走っているようなものだった。 分岐地点で休憩ついでに某氏たちが待っている。はぁ〜休憩。。。って、もう行っちゃうかよ! べりっこで来た私には休憩時間がない、もしくは有ってもみじかい。 楽しくない!疲れた!コケた、右ミラー割れた!またコケた、左ミラー割れた! ミラー無しで走るのは危険と、旦那が自分のバイクからミラーをひとつ外しAX−1に付けてくれた。 いやいや走っているのがにじみ出ていたのだろう、旦那は何をするにも無言だった。 |
(あの崖の下には何があるんだろう?) 右手の山肌からサラサラ崩れた砂利が崖下に崩れていく。 新鮮な轍が5台分、私はどこを走ればいいのだろう? ふともう一度左手の崖に視線を移した。見た方にバイクは進むからこんなこと絶対しちゃいけないんだけどね。 その時、轍にタイヤが取られ前輪が滑った。 (ヤバイ!)両手は無意識にハンドルを握り締めた。 しかしハンドルだけでなくフロントブレキーとクラッチも同時に握っていたのだ。 フロントタイヤがロックし、体が右に振られ倒れた。 リヤタイヤが左の崖から落ち始めた。 「XXXXXX−っ!」 落ちていくAX−1と私。私は必死で崖の隅に生えていた草をつかんだ。 (もうだめだ) ずるずると崖のふちを舐めるように落ちていく私。 不思議とこの時、死にそうな感じがしなかった。恐怖も感じなかった。なぜだろう? つかんだ草はもちろん私の体重を支えられるものでなく、 私は精一杯背伸びをした格好で落ちていった。 するとすぐにフワッと軟らかいクッションのようなものが靴の下にあった。 倒木だ。さっきまであんなに恨んでいた山肌のおかげで私は助かった。 相棒は?私より少し下でやはり倒木のクッションの上で横になっていた。 (やってもーた、ごめんよみんな。楽しいツーリングなのに。) 10mほど先を走っていた旦那は、片側ひとつになったバックミラーから私が落ちる一部始終を見ていた。 「大丈夫か?」 他にも何か言われたような気がするけど、記憶がない。 もしかしたらそれ以上言葉が出なかったかもしれない。 「うーん、大丈夫だけど靴がない。」 右足から靴が脱げてしまっていた。 枝の間に落ちていた。それを拾って履いて倒木を伝って崖の上へあがった。 あがって2,3歩歩くと右足に赤いシミが有った。?。 路肩で座ってGパンのすそをめくてみると、スネに直径1cmぐらい、深さも1cmぐらいの傷から血が出ていた。 鋭く切った傷ではない。何かで押しつぶされたような傷口だった。 枝か何かが刺さったのか?そんな様子もない。 不思議と痛みを感じない。傷の原因を考えるより流れ出る血液をとめるものを探さなくては。。。 いつもハンカチ代わりにしていたバンダナをこの日に限ってを持って来なかった。 止血するものが見当たらない。 旦那がウエストバックに付いていたグローブをはさむためのゴムを外し、それで小さなタオルのハンカチを当てて止血した。 携帯電話は圏外。先に行った某氏たちに連絡できない。どうする? 旦那に某氏を追いかけてもらうか、どうしよう。 「某氏は後ろが遅くなったら必ず見に戻ってくれるからそれをまとう。」 旦那がそういうので待ってみた。 「写真撮っちゃおうかな。」だってこんな現場早々有るわけじゃないし記念写真〜。 お気楽にそう言ってカメラを構えた私に旦那が怒る。 旦那はどうやって引き上げるか真剣に考えていた。 このままにして店まで戻って軽トラで出直すか。 それしか無さそうだ。 それに引き上げても走れない、動かないだろうし。 |
(現場写真) |
バイクの音が聞こえ旦那の言う通り某氏が登場した。 「あーららっ!やっちゃったー?(たぶんこんなかんじ)」 早速カメラで落ちた現場を一枚、そして私を一枚。 ひとしきり説明し、某氏は先に言った3人を呼び戻しに向かった。 みんながそろうと喧喧囂囂。 「何で落ちた?どうして落ちた?怪我はそれだけか?よくその怪我ですんだ。」 そう一つ一つ答える間も無く、AX−1を引き上げる段取りをはじめた。 某氏はこの時ロープを持ってきてないことを悔やんだ。 (私はバンド○イドすら持ってこなかったことを悔やんだ。) 倒木の位置がちょうどスロープのようになっている。 そこを使ってぎりぎりまで寄せてそこから人力で引き上げる作戦に決定。 私は座ったまま谷を見なかった。 |
(カメラを向けられると条件反射のように笑顔になる。) |
助けに来てくれた人たちの顔を見たらだんだん恐怖が沸いて来て、AX−1を壊したことを深く反省していた。 「キュルルルッル、キュルルルル。」 えっ、エンジン掛けてるの?掛かるの?動くの?谷を覗き込めば男4人がAXー1を押している。 「バフッ、タタタタ。」 生きてるじゃん。活きの良いエンジン音が静かな谷の中で響いた。 谷から引き上げられたAX−1のダメージは、顔面強打(ヘッドライト、フロントカウル)が主で走行には支障が無さそうだ。 怪我の原因を探す。レバー類は折れていない。傷の大きさからリアブレーキペダルと判明。 旦那が試しに乗ってみると、 「帰れそうだよ。どうする?」 「乗って帰る!」即答した私にKくんは 「マジッすか?ケガ大丈夫ですか?」 みんなの顔が引きつっていた。 ここにAX−1を置いて旦那とタンデムで帰ってもまたとりに来る旦那もかわいそうだし、 なんといっても一人ぼっちで置いていかれるAX−1はもっとかわいそう。 旦那は来た以上にゆっくりスローペースで山を降りる。その後を続く私の記憶回路は途切れがちだった。 中津川でやっと遅い昼食。何食べたかな?とにかく美味しかった。 その時気づいたのだが、右ひじに小さくすりむいた傷が有った。ウインタージャケットを着ていてそれがプロテクター代わりになったようだ。 満腹で腹の虫もおとなしくなり、舗装路に出ると”落ちた”ことを忘れたかのように元気を取り戻し走った。 R153で雨に降られた。パチン、パチン!派手な音がした。ヘッドライトレンズが割れたためライト球が雨にぬれて割れたのだ。 |
無事帰り着き病院に行き担当してくれた女医さんに「なるべく傷跡が残らないように縫うね。」 とやさしく言われ6針縫ってもらった。 この日子供を預かってくれた旦那の両親に、もうバイクをやめろと言われる覚悟で心配を掛けたことを謝った。 義理父から返ってきた言葉は今でも忘れない。 「目的地に到達できなかった?今度はちゃんと目的地まで行きなさい。」 AX−1は部品発注から修理完了まで4日で復活した。私も落ちたことのトラウマに少々悩まされながらも復活した。 そして早朝どんなに時間がなくても朝食の確保だけはするようになった。腹が減るとろくなことがない。 でももう林道はしばらくいいかな・・・・ |
追記 今回の写真はすべて某氏の撮影によるものです。あの時自分でカメラに収めなかったけど、某氏が撮ってくれて本当によかったと思います。なぜなら、ネタとしては最上級のものだからです。 某氏よ、ありがとう! |